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フォトアドベンチャーの冒険しょう!

今回の冒険は、水路をテーマにしました。

岡田北公園にも清水があり、荒川の稲作を支えていたのでしょう。

田植え時期には、小さな水路にもきれいないっぱいの水が流れ

田に流れ込んでいる様子がよく目にとまります。

この水は、どこから流れてくるのでしょうか?

水を巡って争いもあった歴史や先人の知恵と努力で

大井川から東に導き水尾川に流す網の目の水路。

また、湧き水があった場所の現在を見たい!

夏休みを利用して水路を巡る冒険に出かけましょう!

新たな「荒川」が発見できるかもしれません!




横関に堰ができる以前の夢前川の流路

荒川の地名の由来

 現在の荒川の主な川は、水尾川と大井川です。大井川は、灌漑用水として、荒川地域の西部一帯の水田をうるおしています。水路は、網の目のように作られ東の水尾川に流しています。大井川の水源は国道2号線の南側、姫路西消防署の東側で湧水として出ています。安室・高岡・荒川あたりは、もともと夢前川が流れていた場所で度々洪水が起こり、それが荒川(荒れたる川)の地名のもとになったようです。

大井川水争い

 江戸時代のはじめに横関に堰ができ河道の付替え工事が完成して、安室・高岡・荒川などの地域は、肥沃な土地となりましたが反面水不足となってきました。
湧水はもとの夢前川の伏流水です。その地域には、伏流水を利用する灌漑農業が発達しましたが、干ばつの年には水不足になったことから「四ツ池」(町坪・玉手・高町・苫編)が作られ溜池による灌漑農業も同時に行われました。
 大井川の分水は、土山村・庄村・西脇村(明治6年庄村と西脇村が合併して西庄村となる)が水上として利用していました。
 記録によると明治9年の干ばつの年、新田への水を求めて新しい水路を勝手に作り、水を盗んだことから水争いが起こり、その後の干ばつの年にも同じような水争いが20年以上続きました。これを解消するために明治30年和解し分水堰ができ今日に至っています。

(西庄 高井 清様の「ふるさと伝承:大井川の分水堰について」から掲載しました)


水分け地蔵

土山地蔵石仏

 水分け地蔵とも呼ばれ薬王山善宗寺の門前にあり、正面に「地蔵大菩薩」、側面に「石工中村吉衛門 世話人地蔵講中」とあり、明治30年9月、大井川の水利をめぐる紛争解決を記念して建立されたもの。解決の記録が内蔵されていると言われています。

(姫路市教育委員会文化部文化課の「文化財見学シリーズ23『荒川地区』をたずねて」から掲載しました)

荒川水系図

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荒川水系図

 荒川地区においては、各地に出水があり、井戸を掘ってもすぐ水が出ると聞きましたし、小さな水路は子供たちの遊び場でもありました。蛍も飛んでいました。洗濯も出水のきれいな水で洗っていました。
 「ふる里あらかわ」に荒川水系図が記載されています。この図は、水尾川の改修前でバイパス計画がある時代に作成されたようです、この水系図を現在の地図上に書き写して見ました。(右図:クリックすると拡大できます。)この水路は、先人たちの知恵と努力によって作り上げられたものです。現在、各出水は埋められて宅地になったり、ポンプを設置し必要に応じて水田を潤おすために汲み上げられています。大井川の水源も今は、ポンプを使用してくみ上げられています。水路も暗渠となり道路や歩道でどこを流れているかわからなくなっています。
 水田面積も年々減少していますが、その理由は、農地の転用が急速に進んでいる。後継者がいない。などの問題点がいわれていますが、水尾川や大井川の改修に伴う水脈の変化で水利の確保が困難なことも理由になっています。
 しかし、現在でもこの巧妙に出来上がった水路を利用して農家の皆様は、水田に水を入れています。水路の管理や清掃も行われています。荒川小学校では、5年生が田植えから稲刈りの体験学習を行っていますが、大切な水のことや水路のことも学んで頂きたいと思います。 

さあ、出かけましょう!

 その巧妙な水路や出水の場所を知ることで荒川の再発見をしてください。午前中が最適です。
それでは、「荒川水路を巡ろう」のコースを紹介します。コース地図はこちらから
荒川小学校からスタートします
(あなたのお住まいからスタートでも結構です)
→大井川の西側を北へ →荒川神社の北から山沿いの道を北へ →新幹線の高架下を東へ(大井川の改修工事で新幹線の基礎の工事中です) →
◎すべり石

現在の大井川にかかる「かけどい」
灌漑用水路は、自然の地形を利用して巧みに作られていますが、土地の高低やとび地への引水、池の水と川の水の交わるところなどには、 「かけどい」がかけられ用水路の立体交差が数多く散在していた。向こうにある小屋がすべり石といのへのポンプ小屋である。勢いよく水が あふれ出しているのを見ることができるかも?



◎大井川改修の完成?

現在も改修の続く大井川ですが、下流と違い満々と水を湛えた姿が見えます。
まだ、下流とつながっていないのでしょう。改修後もこのように水を湛えた川であって欲しいと思います。





→循環器病院の方向へ →山沿いの道を北へ(あなたの歩く下に水路が) →円弧を描くようにカーブします →
◎ガチャガチャ地蔵

昔、この地蔵を村中に移したことがある。その場所はわからないが、その時、地蔵さんが元の場所に帰りたいとゆれて動いてガタガタ、ガチャガチャと音を立てたと言う事から元の岩場に戻したとの話がある。
この地蔵さんは、イボ取りに霊験あらとかとも言われている。




◎分水堰

琴丘高校東、明治9年から20年以上にわたった大井川水論和解の分水堰。川下に向かって左側側面に「明治三十年六月 川巾七尺」、右側側面に「明治三十年六月 川巾三尺二寸」と施刻。長さ2.36m、巾36cmの舟形分水堰。土山地区と西庄地区に、7:3の割合で分水されている。以降、紛争防止のため地蔵講をつくり、監視機関とした。
(姫路市教育委員会文化部文化課の「文化財見学シリーズ23『荒川地区』をたずねて」から掲載しました)


◎大井川の水源

大井川の水源は国道2号線の南側、姫路西消防署の東側で湧水として出ています。午前中にポンプで汲み上げられています。何時から何時までポンプが動作しているかわかりません?夕方には動作していません。
こんなに水源が近いなんて驚きました。もっと上の夢前川から流れてくるのではないかと想像していました。



→土山川(?)に戻ります →前川筋に行く前に →
◎春日ポンプ場

この写真の右手にポンプ小屋があります。
朝早くから勢いよく流れ出しています。この水がすいろを通りそれぞれの水田に、乾いた田んぼにゆっくりと注がれていくわけです。それぞれの田んぼでは、堰をして水を張る十分入ったら堰を外し、水を下へ送ります。どのような順番なのかわかりませんが農家にとって貴重な水に違いはありません。



◎逆上げ

現在、水路そばが開発工事中です。
「逆上げ」正しくは「さかあげ」と読むが、ここでは、「さかげ」と呼んでいる。普通、ここらでは水の流れは北から南に下がるのが当たり前とされていますが、ここは北に流れています。灌漑上どうしても自然に逆らって北上させなければならなかったようです。
このような場所が数箇所存在していたようです。
かなりの水路工事技術が必要だったと思われます。


→前川筋を東へ →土山水分け地蔵 →薬王山善宗寺 →西へ →寺うら筋を南に →前川筋を西へ →
◎水尾川

水尾川は姫路城や姫路駅の西側の姫路市の中心市街地を流れ、夢前川に流れ込む二級河川です。
平成22年度に北今宿までつながり完成しました。

河原が歩けるようになっています。







→水尾川沿いを南下 →新幹線の下を通り →西庄川を渡り主婦の店の横を南へ
→岡田北公園(写真撮影)マックスバリューで休憩 →水尾川沿いに戻り南下 →
◎堂田(どうでん)遺跡

縄文後期から弥生後期まで
出土した遺物は、縄文式土器、石鏃、砥石、弥生式土器、土錐、土師器、須恵器、古瓦(布目瓦)、墨書土器、果実。
場所は、この付近と思われます。 水尾川改修工事にともない発掘されました。




→小学校へ
以上 約6.0kmのコースです。他に水尾川の東の水路や旧水尾川までの冒険もおもしろそうですね。
いっぱい写真とって下さい。夏休みの研究発表にして下さい。メール待っています。
また、このような情報や過去の写真をお持ちの方は、ご一報下さい。